このスペースに何を書こうかずっと悩んでいたんだが、ようやく思いついた。
【mixiは濃い趣味全開なので、一般の方の入場はご注意ください】
最近何で普通の人から足あとついてんだろう、と思ってたが、
多分ここから来てくださったんだろう……。ごめん、注意書きしとくべきだったわ。
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最近何で普通の人から足あとついてんだろう、と思ってたが、
多分ここから来てくださったんだろう……。ごめん、注意書きしとくべきだったわ。
究極の選択
テーマ:ブログ
2008/05/31 02:41
ども、紀織(きおり)です。
少しサボタージュしてました。
まぁ、『気楽に』がここでのモットーなので、特に気にせずやっていきますよ。えぇ、はい。
【カルネアデスの板】という話をご存知でしょうか?
紀元前2世紀のギリシアで、船が難破し、乗組員は全員海に投げ出された。
ある男が命からがら、一片の板切れにつかまったが、そこへもう一人、同じ板に掴まろうとする者が現れた。
しかし、二人も掴まれば「板が沈んでしまう」と考えたその男は、
後から来た者を突き飛ばして、おぼれさせてしまった。
男は助かり、この事で裁判にかけられたが、罪には問われなかった。
罪になるかどうかは関係なく、本当にこの男の判断は正しかったのでしょうかね?
『誰かのために』と言って、何か行動をするのは、果たして本当に良い事なのでしょうか?
自分を犠牲にして、誰かのために尽くして、それで本当に幸福が得られるのでしょうか?
大抵の場合は得られるでしょう。
自分を犠牲に、と言ったって何も命を差し出すわけじゃあるまいし。
ほんの小さな思いやりの心一つで、幸せになれるならそれで万事OKでしょうよ。
だけど、それは決して恒久的な幸福には繋がらないと思います。
『誰かのために』と行動を起こす人は、その『誰か』が幸せになれば、そりゃそれで良いんでしょうけど、
その『誰か』本人は、何も思わないのでしょうか?
こんなにも自分を犠牲にしてくれる人が側に居て、それで何も思わないなんて事ありませんよね。
その人が、自分に対して何か(時間やお金やその他諸々)を犠牲にして、自分を幸福に導こうとしている。
そんな状況に気付いたなら、もしかしたらその行動を拒絶してしまうかもしれない。
そうなるとまぁ、色々と不具合が起きちゃいますね。
『誰かのために』とは言い換えれば、『頼られるための』行動です。
結局、他人の事を考えているようで実は自分の自己満足のための行動でしかない。
そういう事だってあり得る。
本当に人から頼られる人というのは、常に『自分のために』行動をしている人で、
他人がその人の行動を見て、『これが出来るこの人ならば頼れるのではないか』と思った時に、
本当に心からその人は『誰かのために』なる事が出来るわけです。
行動というのは、普段の行いや人となり、あるいはその人がしている努力など。
頼られたいが為に自分を犠牲にして誰かのために動くのは、究極的には間違いなのだと思うわけですよ。
ん……何だかゴチャゴチャしてきたなぁ。
人に解りやすく説明する能力があれば、もっとスマートに言えるのだろうけど……。
むぅ。。。難しい。。。
しかも、序盤の前置きがあんまり関係無いというダメっぷり。
カルネアデスの板をついつい手放してしまい二人とも溺れ死にました。てへっ。
仮にカルネアデスの板を譲り渡し、自分は死に、見知らぬ誰かは助かり、
その誰かは、どう思うのでしょうか。
自分は親切な人のお陰で助かった、と喜ぶのか。
自分のせいで親切な人は死んでしまった、と悲しむのか。
自分なんかを助けたせいであのお人好しは死んだ、と蔑むのか。
まぁ、答えなんて無いんでしょう。
もしかしたら、カルネアデスの板は二人分の浮力を持っていたのかも知れないのだし……。
少しサボタージュしてました。
まぁ、『気楽に』がここでのモットーなので、特に気にせずやっていきますよ。えぇ、はい。
【カルネアデスの板】という話をご存知でしょうか?
紀元前2世紀のギリシアで、船が難破し、乗組員は全員海に投げ出された。
ある男が命からがら、一片の板切れにつかまったが、そこへもう一人、同じ板に掴まろうとする者が現れた。
しかし、二人も掴まれば「板が沈んでしまう」と考えたその男は、
後から来た者を突き飛ばして、おぼれさせてしまった。
男は助かり、この事で裁判にかけられたが、罪には問われなかった。
罪になるかどうかは関係なく、本当にこの男の判断は正しかったのでしょうかね?
『誰かのために』と言って、何か行動をするのは、果たして本当に良い事なのでしょうか?
自分を犠牲にして、誰かのために尽くして、それで本当に幸福が得られるのでしょうか?
大抵の場合は得られるでしょう。
自分を犠牲に、と言ったって何も命を差し出すわけじゃあるまいし。
ほんの小さな思いやりの心一つで、幸せになれるならそれで万事OKでしょうよ。
だけど、それは決して恒久的な幸福には繋がらないと思います。
『誰かのために』と行動を起こす人は、その『誰か』が幸せになれば、そりゃそれで良いんでしょうけど、
その『誰か』本人は、何も思わないのでしょうか?
こんなにも自分を犠牲にしてくれる人が側に居て、それで何も思わないなんて事ありませんよね。
その人が、自分に対して何か(時間やお金やその他諸々)を犠牲にして、自分を幸福に導こうとしている。
そんな状況に気付いたなら、もしかしたらその行動を拒絶してしまうかもしれない。
そうなるとまぁ、色々と不具合が起きちゃいますね。
『誰かのために』とは言い換えれば、『頼られるための』行動です。
結局、他人の事を考えているようで実は自分の自己満足のための行動でしかない。
そういう事だってあり得る。
本当に人から頼られる人というのは、常に『自分のために』行動をしている人で、
他人がその人の行動を見て、『これが出来るこの人ならば頼れるのではないか』と思った時に、
本当に心からその人は『誰かのために』なる事が出来るわけです。
行動というのは、普段の行いや人となり、あるいはその人がしている努力など。
頼られたいが為に自分を犠牲にして誰かのために動くのは、究極的には間違いなのだと思うわけですよ。
ん……何だかゴチャゴチャしてきたなぁ。
人に解りやすく説明する能力があれば、もっとスマートに言えるのだろうけど……。
むぅ。。。難しい。。。
しかも、序盤の前置きがあんまり関係無いというダメっぷり。
カルネアデスの板をついつい手放してしまい二人とも溺れ死にました。てへっ。
仮にカルネアデスの板を譲り渡し、自分は死に、見知らぬ誰かは助かり、
その誰かは、どう思うのでしょうか。
自分は親切な人のお陰で助かった、と喜ぶのか。
自分のせいで親切な人は死んでしまった、と悲しむのか。
自分なんかを助けたせいであのお人好しは死んだ、と蔑むのか。
まぁ、答えなんて無いんでしょう。
もしかしたら、カルネアデスの板は二人分の浮力を持っていたのかも知れないのだし……。
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